第38話「正しい決断」
モンスター達の襲撃を退けた翌日、リョウはレオンとローウェルを連れて村の隅にある小さな小屋へと向かっていた。
「こんなところに何の用です?」
レオンがそう尋ねるが、リョウは無言で小屋の中に入って行った。レオンは振り返ってローウェルの方を見たが、彼も小さく首を捻る。どうやら、彼にも目的はわからないようだ。仕方なく、二人もリョウの後に続いて小屋の中に入った。
その小屋は倉庫になっているようだった。非常時のための食糧や材木などが周囲の壁に沿って積み上げられており、埃っぽい空気が部屋全体を包み込んでいる。
リョウは倉庫の中に入ると、何かを物色するように部屋全体を見回す。そして、右隅に積まれた白い袋の山に目を留めると、そちらに向けて歩き出した。レオンとローウェルもそれに続く。
リョウはその白い袋の一つを手に取ると、開けて中身を確認した。その表情が険しいものへと変わる。
「なんです? それは」
レオンの後ろからローウェルが尋ねた。リョウは袋を逆さにして、その中身を自分の手の平に出す。リョウの手の平に、白い粉末状のものがさらさらとこぼれた。
「ハーキスと呼ばれる食物を、加工して粉末状にしたものだ」
「「ハーキス?」」
聞いたことのない名前に、二人が同時に疑問の声を上げる。
「興奮作用のある成分を含んでいて、滋養・強壮の効果もある果物の一種だ。ただ、同時に中毒性が高く、服用を続けると幻覚・幻聴などの副作用をもたらす。管理局から栽培・加工を禁じられている禁制品の一つだな」
「つまり、違法な薬物ということですか?」
レオンが尋ねると、リョウは頷き返した。
「モンスターの一部はこのハーキスを食料としているらしい。我々にはわからないが、モンスターだけがわかる独特の匂いを発しているそうだ」
今朝、リョウが村長に村が襲われた時の状況や原因を尋ねたところ、何故か村長は曖昧な返事しか返さなかった。そのことを不審に思ったリョウは、こうして村の調査に乗り出したのだった。
「では、村が襲われたのは……」
「恐らく、これが原因だろう。管理局に連絡して、処分しなければ」
「今ここで焼却処分してしまえばよいのでは?」
ローウェルがそう提案する。
「いや、違法な薬物とはいえ、勝手に個人が処分する事は許されない。管理局が来るまでは保管しておく必要があるだろう」
リョウは手の平の粉末を袋の中に戻すと、袋を再び元の場所に積んだ。
「管理局の者が来るまで数日かかる。その間、またモンスターが襲ってくる可能性はあるだろう。その間は村にとどまり、モンスターの討伐を行う。いいね?」
リョウの言葉に異論があるはずもなく、二人は頷いてそれに答えた。
その日の夜、ローウェルは宿としてあてがわれた小屋のベッドに寝転がり、意味もなく天井を見上げていた。同室のレオンは夜風に当たるといって外出しており、部屋には自分一人しかいない。
天井を見上げながら、小さく、しかし深いため息をつく。原因は、昨日の言い争いにあった。
レオンは間違っていると思う。戦う意思のないものを攻撃することは、許されないことだ。それはもはや、一方的な虐殺に過ぎない。
だが、現実としてモンスターは倒さなければならない。これも変わりようのない事実だ。そういった意味では、レオンの言っている事も理解できる。
どちらが正しく、どちらが間違っているのか。
自分の言っていることは、単なる理想論に過ぎないのだろうか。
「ロー、まだ起きていたのか」
不意に、横から声がかかった。いつの間にか、レオンが部屋に帰って来ていたようだ。
「ああ。少し考え事をしていてね」
「そうか……」
そう言ったきり、二人とも黙りこむ。重苦しい沈黙が、部屋の中を支配した。
「なぁ、レオン」
その重苦しい沈黙を最初に破ったのは、ローウェルの方だった。
「僕は、間違っているんだろうか?」
レオンの方には視線を向けず、天井に向けて固定したまま、ローウェルは尋ねた。
「君の言うことはわかるよ。僕だって、人間や動物達を襲うモンスター達は許せないと思う。そのモンスター達を倒すのは、正しいことだとも思う。でも、モンスター達も僕達と同じように生きている。僕達人間が生きていくために動物を殺して食料にするのと、モンスター達が人間を襲うのと、一体何が違うんだろう? もし同じだとすれば、僕達に彼らを責める権利があるのかな? まして、彼らの命を奪う権利なんて。そう考えると、わからないんだ。こんなことを考える僕は、おかしいんだろうか? 間違っているんだろうか? 君は、どう思う?」
そこまで言い切ると、ローウェルは沈黙して答えを待つ。
しばしの間があって、レオンは口を開いた。
「俺は……」
その時、窓の外で悲鳴がこだました。ついで、木材がばりばりとひしゃげる破壊音が聞こえてくる。「逃げろ!」「モンスターだ!」という叫び声が、部屋の中に飛び込んできた。
「レオン!」
「ああ!」
瞬時に状況を判断した二人が、剣を取って小屋を出る。
小屋の外では、パニックに陥った村人達が悲鳴や怒号と共に逃げ惑っていた。住居としている小屋のいくつかが破壊され、ところどころから火の手が上がっている。
「レオン、君は村の東の方へ! 僕は西の方のモンスターの相手をする!」
「わかった!」
返事と同時に踵を返し、二人はそれぞれ逆方向へと散っていった。
西側にいたモンスターは、前回の襲撃に比べると少なめだった。それほど強力な力を持ったものもおらず、ローウェルは短時間で効率よくモンスターを追い払うことに成功していた。
「この辺りにはもうモンスターはいません! 焦らず落ち着いて避難してください!」
帰って来たばかりでまた避難を強いられた住民達の顔には、疲労が色濃く出ていた。それでも、ローウェルの言葉と誘導に従って順次、村を去っていく。
「騎士様!」
そんな時、住民の一人と思われる中年の女性がローウェルのもとに息を切らしてやって来た。
「娘が! うちの娘がどこにもいないんです! どこにも!」
「落ち着いてください。先に避難所に向かったのでは?」
「いないんです! 避難所にも森にもいないんです! 逃げ遅れたのかもしれません! 私を探しているのかも……!」
「わかりました。あなたの家はどの辺りですか? 僕が探してきます」
パニック状態の母親をなんとかなだめて避難所に向かわせると、ローウェルは母親から聞いた家のある場所へと向かった。
その家は、既に火災により半焼していた。屋根の半分が地面に落ち、窓ガラスが黒く変色している。入口の扉は既に破壊されていた。
(こんな場所にいるわけないか……)
そう考えながらも、万が一の事を考えて家の中に足を踏み入れる。
そして、思わず立ち止まって息を呑んだ。
玄関から入ってすぐ、リビングとして使われていただろう部屋の床に、まだ五、六歳であろう女の子の死体が転がっていた。鋭い刃物のようなもので腹を切り裂かれ、内臓が真っ赤な血と体液と共にそこから床にまで垂れている。頭を強く打ちつけたらしく頭蓋骨が陥没し、顔は半分潰れていた。無事だった片方の眼だけが、空虚な視線をこちらに向けている。
「っ……」
この女の子が恐らく、先程の母親が探していた娘だろう。そうわかっていても、認めたくなかった。
戦場にいれば、死体を見るのも珍しくはない。そんなローウェルでさえ目を背けたくなるほど、女の子の死体は悲惨だった。あの母親に、このことをどう伝えればいいのか。
ローウェルは胸の前で十字を切り、女の子の冥福を祈る。
だが、その時、家の奥から何かがやって来る気配を感じた。
(モンスター!?)
咄嗟にそう考え、鞘から剣を引き抜く。両手で柄を握り、中段に剣を構えて敵に備えた。足音が次第に近くなる。そして、その足音の正体がローウェルの前に現れ、
ローウェルの呼吸が、止まった。
「そん、な……」
現れたのは、予想通りモンスターだった。両手にある鋭い爪には、赤黒い何かがこびりついている。その爪が女の子の腹を切り裂いたことは、容易に想像できた。だが、ローウェルの思考はそんなことを冷静に分析できる状態ではなかった。
「そ……んな……」
握っていた剣が、手から滑り落ちた。からん、と音をたてて、床を転がって行く。
「嘘、だ……」
認めたくなかった。誰かに、これは夢だと言って欲しかった。
だが、今、目の前にある小さな命の亡骸が、まぎれもない現実を突き付ける。
「こん、な……こんな……の……」
そのモンスターに、ローウェルは見覚えがあった。つい最近、ほんの十数時間前に見たものを、忘れるはずがない。
モンスターが、こちらに近づいてくる。それを、ローウェルはまるで他人事のように見つめていた。
僕のせい、なのか?
僕があの時見逃したから、だから、この女の子は死んだのか?
僕が殺したのか?
この女の子の未来を、僕が奪ったのか?
僕が、僕が、僕が、僕が、僕が、僕が、僕が、僕が、僕が、
ローウェルのすぐ前までやって来たモンスターが、腕を振り上げる。鋭い爪と、その爪にこびりついた赤黒い物体が、炎を反射して禍々しいほどの黒い輝きを放つ。
ああ。僕は、死ぬのか。
まるで現実味のない光景を呆然と見つめながら、漠然と思う。
僕は、報いを受けるのか。この娘を殺した、その報いを受けるのか。
ならば、受け入れなければいけない。僕はこの娘を殺した。当然の報いだ。
これでいい。これが、正しい結末だ。
「ロー!!」
叫びと共に、ローウェルの横を一陣の風が吹き抜けた。
モンスターの胸に、剣が突き立てられる。紫の体液が飛び散り、モンスターは仰向けに倒れた。
「あぁぁぁ!!」
倒れ、なおも抵抗しようとするモンスターに、レオンはさらに深く剣を押し込む。飛び散る体液の量が一層増加し、それと反比例するようにモンスターの抵抗が弱くなる。そして、体液の噴出が終わると同時に、その動きが完全に停止した。
「ロー! 東側にまだモンスターが残ってる! 一緒に来てくれ!」
モンスターから視線を外し、振り返ったレオンが言う。
ローウェルは何も答えず、ただ、その場に立ち尽くしていた。
「ロー! まだ戦いは終わってねぇぞ! しっかりしろ!」
レオンがローウェルの両肩を強く掴む。それでも、ローウェルは返事を返さなかった。
かわりに、ローウェルの震える唇から小さな呟きが漏れた。
「なぜ……?」
「あ?」
「なぜ、僕を責めない……?」
モンスターのことは、レオンも気付いているだろう。死体を見れば、この部屋で何があったのかも容易に想像できるはずだ。
レオンが正しかった。あの時、ローウェルが邪魔をしなければ、こんなことにはならなかった。
なのに、なぜ自分を責めない?
「ここでお前を責めてどうなる!? 終わっちまったことは、もうどうにもならねぇじゃねぇか! それよりも、今は他にやるべきことがある!」
レオンははっきりと言い放つ。迷いもなく、怒りもなく、悲しみもなく。ただ、現実を見つめる強い瞳が、そこにはあった。
なおも呆然と立ち尽くすローウェルを見て、すぐには立ち直れないと感じたレオンは、そこにいろ、と言い残すと背を向けて走り出した。その背中を、ローウェルはただ見送る。
なぜ、そこまで強くなれる?
なぜ、そこまで迷いがない?
小さくなる背中に、ローウェルは心中で疑問を投げかける。
僕は、間違っていたのか?
あの時、君はなんて答えようとした?
間違っているはずだ。こんな結末は、間違っているはずだ。
だが、ローウェルの心はそうは言っていない。こんな結末を迎えてなお、ローウェルは自分のしたことが間違っているとは思えなかった。
自分は正しい選択をしたはずだ。
でも、正しい選択は、正しい結末を生むはずじゃないのか?
ならばなぜ、こんな結末が生まれてしまった?
正しい選択とは何だ?
正しい結末とは何だ?
正しさとは、何だ?
何だ、何だ、何だ、何だ、何だ、何だ、何だ、何だ、何だ、何だ、何だ、何だ、何だ、何だ、何だ、何ダ、何ダ、何ダ、何ダ、何ダ、何ダ、何ダ、何ダ、ナンダ、ナンダ、ナンダ、ナンダ、ナンダ、
ふと、床に転がる女の子の死体と目があった。空虚な、何もない視線が、ローウェルを見つめる。
ローウェルは震えた。奥歯がかみ合わず、ガチガチと不快な音をたてる。全身から力が抜け、膝から崩れ落ちるようにして、床に座り込んだ。
すぐ近くに、女の子の視線がある。空っぽな、どこまでも続く闇の底のような色を浮かべて、ただ、ローウェルを見つめる。
だが、何もないその視線から、ローウェルは感じた。女の子の、声なき叫びを。
オ前ノ、セイダ。オ前ガ、殺シタ。
「ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
炎で血のように真っ赤に染まる夜空に、ローウェルという、一人の少年の断末魔の声が響き渡った。
第38話 終